ART of MANGA マンガの芸術を見て
- bigeva0
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最終日にde Youngへ
先日、de Young Museumで「ART of MANGA マンガの芸術」展が昨年9月から開催されていることを知った。私が絵を描いているのを知っている友人から「ぜひ行くべきだ」と勧められ、最終日の2026年2月2日に足を運んだ。会場に入ってまず驚いたのは、アニメのコスチューム(コスプレ)で来ている観客が想像以上に多かったことだ。展示は「観る」だけでなく、カルチャーを「生きる」人たちの熱量で満ちていた。
私は小学生の頃から漫画を読み始め、10代20代、特にアメリカに渡ってからは少年マガジン、少年サンデー、少年キング、少女フレンド、マーガレット……主要な週刊誌を“全部”読む勢いだった。大人になってからは週刊モーニングやビッグコミックにも手が伸びた。漫画は私にとって、懐かしさの詰まった日本カルチャーの中心にある存在だ。
思い出すのは、病気で療養していた弟が、寂しさを補うかのように自分で漫画を描いていた姿である。それを見て私も真似したくなり、「伊賀の影丸」を手本に「甲賀のxx」という10ページほどの自作漫画を描いて遊んだことがある。
会場でまず目に入った作家紹介パネル(この3名)
今回の鑑賞には、個人的に二つの理由があった。
一つは、来月、日本文化をテーマにしたジョイント・フォーラムにファシリテーターとして関わることもあり、日本を代表するマンガ・アニメを自分の中で整理しておきたかったこと。もう一つは、いま自分が描いているインク+水彩の制作に、何かヒントが得られないかという期待だった。近くの大学に交換留学生として来ている日本の同窓生4人と一緒に行ったのも、今回の体験をより“今の自分ごと”にしてくれた気がする。

原画の前で見えた制作の現場
展示には、日本の巨匠たちの原画が並んでいた。けれど私が一番驚いたのは、完成原稿だけではなく、制作の「途中段階」がそのまま見える形で展示されていたことだった。
スケッチやデッサンだけのもの
インクが入っていても、吹き出しのセリフが空白のもの
手書きのセリフが入っているもの
ワープロで印字したセリフを切り貼りしたもの
そして、ホワイトインクで修正した跡が残るもの
「完成」ではなく、「完成へ向かう手の時間」が、紙の上に生々しく残っていた。プロセスを肌で感じられる展示だった。

モノクロ原稿の世界も衝撃だった。白黒の濃淡を表現するために、各種のグレーに見える格子状(スクリーントーン)のフィルムを切って貼る。あの独特の“漫画のグレー”は、デジタル以前はこういう手作業で積み上げられていたのか……と、頭が少しクラクラするほどだった。そしてカラー。これはさらに意外だった。私が普段やっているインク+水彩と同じように、紙の上で色を積み上げる手仕事の世界が、漫画のカラー原稿にも確かにあった。勝手に「もっと別の、漫画ならではの特殊な工程がある」と思い込んでいたので、「そうだったのか」というショックは大きかった。
絵の学び:主役と余白
私の作品を見てくれた人から、「1作品描くのにどのくらい時間がかかるの?」とよく聞かれる。例えば11”×14”なら、だいたいこんな流れだ。
場所・構図を決める:20〜30分
スケッチ:1時間ほど
線画に整える:2時間ほど
ラフに色付け:2時間ほど
そこから、色の修正、濃淡、陰影:納得いくまで続く(2、3日から数週間)
この“時間感覚”を持って展示を見ると、週刊漫画の凄さが別の角度から迫ってくる。1ページに1〜8コマ、ページの中には線も表情も背景も情報が詰まっている。カラーは多くないとはいえ、フルページのカラー1コマは、情報密度としては私の絵と変わらないほどだ。チームで分業しているとしても、一週間であの枚数を成立させるのは、まさに異常な仕事量である。しかも漫画は、描く前に“設計”がある。ページに何コマ置くか、どんなレイアウトにするか、どのコマに何を背負わせるか。1コマの中でも構図が必要で、その前にはストーリーの中で「どこを視覚的に描写するか」という判断がある。
だから私は、こう言いたくなる。まさにブラックな世界!(もちろん尊敬の念を含めて)
さらに、これがアニメになると全てがカラーになる。仮に24fps(毎秒24コマ)で1時間の映像を考えると、最大で86,400フレームという数字になる。実際には同じ絵を2コマ・3コマ使うなど効率化があるとはいえ、それでも膨大な作画量が必要だ。想像しただけで、凄いストレスだと思う。
ここまで見てきて、私の中で一番残った学びは、実はとてもシンプルなことだった。
何を一番伝えたいのか。
それは漫画の1コマでも、絵画の1枚でも同じだ。
小さな1コマ、フルページの1コマ。面積は違っても、そこで何を表現したいかによって、主役と脇役が決まってくる。私の水彩画でも、欲張りすぎて主役が不明確になる時がある。要は断捨離の世界だ。いらないものは削り、本当に必要なものだけを残す。そして伝える。
……とはいえ、余った余白に“遊びのメッセージ”を入れたくなる気持ちもある。やはり欲張りだろうか。でも、その欲張りこそが、漫画という文化の魅力でもあるのかもしれない。
日本のマンガ・アニメが世界へ届く理由
作品づくりの現場に触れて、改めて思った。マンガとアニメは、日本が世界に誇れる表現だ。私はその核に「手の文化」を感じる。下描きからペン入れ、写植、修正、トーン——完成へ向かう工程が紙の上に残り、線の強弱や余白の取り方の“微差”が、作品の密度と説得力になっている。直して、積み上げて、最後の一枚に到達する。あの手の時間が、読み手の心に届く強度を作っている。

けれど、それだけではない。世界へ届く理由は、もっと実用的で、もっと生活に近いところにもあると思う。
まず、短い時間で物語の世界に入れる。一コマの視線、間(ま)、次のページをめくる速度——読者は気づかないうちに、感情の流れに乗せられていく。さらに、読むほどに 考えることができ、理解できる。歴史でも、社会でも、人間関係でも、活字だけでは掴みにくいものが、場面として立ち上がる。
そして、マンガやアニメは トレンドの感覚を持っている。言葉づかい、価値観、表現のテンポ、時代の空気。そこに ファッショナブルさも加わる。キャラクターや衣装、色、ポーズ——会場にコスチューム姿の観客が多かったのは、その象徴だろう。作品は“読むもの”であると同時に、“身につけて共有するもの”にもなっている。
さらに大きいのは、共感の回路が強いことだ。作者の視点に触れ、友人や仲間と語り合い、同じ場面に同じ熱量で笑ったり泣いたりできる。国が違っても、言語が違っても、その回路はつながる。だからこそ、世界に広がる。
今、制作現場にはAIという大きな波も迫っている。効率化や試作の面で、AIはこれからますます力を発揮するだろう。だからこそ私は、展示で見た無数の修正跡や手仕事の痕跡を思い出す。便利さが増す時代に、作品の中で「手」が担ってきたもの——微差の判断、余白の意図、直しながら完成へ近づく粘り——それをどう残し、どう更新していくのか。マンガとアニメは、これからもその問いの最前線に立ち続ける気がしている。


























