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2度目の命日に書いたレター

  • bigeva0
  • May 16, 2020
  • 4 min read

Updated: May 17, 2020

今日は5・16日、ワイフの命日です。という事で、亡くなったワイフに手紙を書きました。

Dear Yoko,

貴女が羽ばたいてからもう2年も経ちました。早いですね。

今、現世界では大変な事になっています。中国の武漢で発生した新型コロナウイルス感染症のパンデミックで世界は大変です。高齢者の致死率が高く、高齢、しかも色んな持病を持っている私は危ないらしいです。その対策として、カリフォルニア州では外出禁止令が発動され、仕方なく、他人と接する場合は、Social Distance (社会的距離)、他人とは6フィートの距離を保つようにと、当局より指示が出されました。もう、2ヶ月経ちます。

日本での感染者の症例は比較的少なく、それはマスクをつけたり、その他の衛生手段のおかげであるとか言われています。1ヶ月前まではマスクが手に入らないとか大変でした。

貴女が逝ってから2年経つわけですが、未だに貴女に助けられている感じです。闘病中に娘が買ってくれたN95のマスクのストック、使い捨て手袋、消毒ティッシュなど、世間では不足しているアイテムが既に家に置いてあり、楽しました。ありがとう。

そんな分けで、今日はZoomというビデオ会議アプリケーションを使って、ドイツに住んでいる娘の理沙、キャンベルに住んでいる息子のマーク、そして、理沙の大学からの親友であるソレーンと貴女の命日のGatheringをしました。色んな話で盛り上がり、2時間以上もおしゃべりをしました。

そうそう、その前に貴女が好きだったロスアルトスの「炭家」で、備長炭で焼かれた親子丼をテイクアウトし、あなたの慰霊にお供えをしましたが、美味しかったですか?


結婚してからず〜っと喧嘩ばかりしていて、子供たちにも見せてはいけない仲の悪いシーンを繰り返していた二人ですが、今なら言えます。もっと、貴女に思い遣りを持ち、理解してあげれば良かったと。闘病中もあまり優しい言葉をかけなかったよね。優しい言葉をかけるのは、貴女がいなくなってしまう事を意識させ、余計に加速して逝ってしまうと恐れていました。だから、最後の最後まで、言えなかった。治療を諦め、自然に任せる事になった時、初めての経験なので何日持つかも分からず、最後の会話をなかなか出来なかった。最後となった会話は、「ずっと、一緒にいてくれてありがとう。」(兄弟姉妹のいる日本に帰りたかったのに、ずっとアメリカ生活をさせてごめん。)それに対して、貴女は「こちらこそ。」そして「ずっと辛い思いをさせてごめんね。」貴女はうなずいただけ。I Love Youも言えなかった。ごめん。

もちろん、貴女が逝ってしまって、悲しかったし、寂しかった。でも、悲しんでいても仕方なく、悲しみよりも悔やみや懐かしさにすぐ変わりました。貴女からキッチンハラスメントを受けたおかげで、今だ、毎日、毎食、調理をしています。貴女のお陰です。ありがとう。教えてもらったレシピは数えるほどでしたね。貴女が「私の作る料理を食べたい。」という意味が、今、よくわかります。当時は、インターネットで沢山のレシピがあり、そればかり作っていました。でも、貴女が書き残した沢山のレシピがあるのに、それを学ばなかったのが悔やまれます。ごめんなさい。

一人になったけど、仕事があったから救われました。そして、結婚してから中断していた趣味の音楽や絵画を再開しました。まずは、高校の先輩バンドが活動しているライブハウスでキーボード参加させてもらうようになりました。日本への出張時には、なるべくライブ演奏参加できるように、スケジュールを組むようになりました。また、カリフォルニア美術倶楽部に参加し、アクリル画の勉強をしています。ノリ先生が色んなジャンルを教えてくれるので、水墨画、水彩、彫刻なども体験しました。今は、洋画の女優を6枚描き、肖像画の勉強をしています。明日からは日本の女優6名を題材に勉強します。終ったら貴女の絵も描きますね。


ということで、友達も多く出来、寂しくないので心配しないように。家は以前説明したようにシェアハウスとし、友人や学生たちが長期短期と滞在しています。


リタイアの生活を一緒にできなかったけど、そろそろ、私の人生の次のページに進みます。貴女のことを忘れる事はないので、笑って見守っていてください。

じゃ、またね。


英明


 
 
 

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